【認知症対応】にんちしょうを前向きにとらえる思考。

認知症

 

もしも自分が認知症になったら..と想像してみると、

 

とてもとても想像したくないですね。

 

 

誰だってそうだと思います。

 

 

 

 

家族が誰だかわからなくなったり、

 

人間として考えられないような行動をしてしまったり、

 

認知症の症状が進行すると、歩行困難などの身体的な障害にもつながります。

 

 

 

 

歩行困難は、身体的な衰えと脳の障害が原因となっているものがあるんです。

 

それら2つがあわさって、症状が悪化することもあります。

 

 

 

 

ろくに立つこともできず、家族のことも誰だかわからず、

 

排泄なども1人ではできないようになり..

 

 

それは醜態以外の何ものでもないと今の私は感じます。

 

 

 

 

だから私は、認知症になる前に、介護が必要な状態になる前に、

 

ポックリ逝きたいと希望しています。

 

 

都合の良いタイミングでポックリ逝きたい..という思いを持ってる方は意外と多いのではないでしょうか。

 

 

しかし、都合の良いタイミングでポックリ逝く方法はないのです。

 

 

 

ポックリ逝くか逝かないかは、自分や他人の意思ではなく、もっと大きな自然の流れみたいなものが決めるのだと思います。

 

大きな自然の流れには、逆らえません。

 

つまり、どうなるかは誰にも決められないし、わからないと思うのです。

 

 

 

老いることから誰もが逃れられないように、

 

進行具合の違い、程度の違いの差こそあれ、

 

誰もがいずれは介護の必要な状態になる可能性が多分にあるのです。

 

 

もしかしたら、きついことですが、

 

「醜態をさらす」ということも生きることの一部なのかもしれません。

 

 

 

認知症を前向きにとらえる思考

 

認知症を前向きにとらえられたら、

 

認知症に対する対応はもっと楽に変わってくるかもしれません。

 

 

「悪い面もあれば、良い面もある」

 

これは全てのことに当てはまる、と私は思っています。

 

 

 

私の祖母はすでに亡くなっていますが、

 

最期はかなり衰弱していました。

 

親戚の家族が食事や排泄などの介護・対応をしていました。

 

 

 

親戚の家に住んでいましたので、私は介護・対応には携わっていません。

 

たまに会いに行くと、いつも介護をされる身として文句や不平を言っていたものです。

 

 

 

しかし、亡くなる1ヵ月前ぐらいになると、

 

そういう文句や不平がパッタリと止みました。

 

 

 

ただただ、ニコニコしてるという感じで、

 

私が誰だかも認識できないような感じでした。

 

 

 

上手い表現が見当たりませんが、

 

自分自身が誰なのかも認識できてないような感じでした。

 

 

 

会話もするのですが、内容を理解してるのか、していないのか、

 

わからないような感じでした。

 

 

でも、ニコニコしながら相槌だけは打つのです。

 

 

そんな祖母の雰囲気はとても軽やかでした。

 

 

 

 

今、あの時を思い出すと、老衰して認知症になることは、

 

たしかに醜態を晒すことでもあるけど、

 

 

醜態を晒してる自分の状態もわからなくなり、

 

さらには生きてることも忘れて、死への不安も忘れたりする、

 

良い面もあるのではないかと思ったりしました。

 

 

 

 

さらには、ニコニコしていた最期の約1ヵ月間の祖母の風情は、

 

きっと介護してきた親戚家族の心の負担を和らげたに違いありません。

 

 

 

もしも、最期まで意識がハッキリとしていて、不平不満や不安がいっぱいだったら、

 

本人も対応する周囲の人もキツイに違いありません。

 

 

そう考えると、認知症は良い面もあると思うのです。

 

 

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